ポポまりで表現方法が従来のドット絵(2D)からセルシェーディング(3D)に変わったことについての反対意見、すなわち「ポポロはやっぱりドット絵じゃなきゃダメ」「ドット絵じゃないポポロはポポロじゃない」、言い方の差異はあれども要するに「ポポロ=ドット絵」という見方があります。「2Dの方が好き」「3Dより2Dの方が見やすい」「3Dだと酔ってしまって大変」といった意見については、好みや個人差があることなので、それもまぁいいんじゃないかなとは思います。ただこれが「ポポロとドット絵は不可分」的な意見にまで発展してしまうと、「なんでそうなるの?」と多少の苛立ちを感じずにはいられません。
ポポロの世界は2Dでないと描けないものですか?
2Dから3Dへと表現方法が変わってしまっただけで変容してしまうほどポポロは脆弱な作品ですか?
ポポロからドット絵やアニメーションを外してしまったらポポロはポポロでなくなってしまいますか?
先の意見を見るにつけ、こうした疑問が次々と湧いてきます。ポポロをゲームとして好きであるのか、物語として好きであるのかによって(もしくはこのどちらに重点を置いているか)、見解が異なってくると思います。前者の捉え方をするのであれば当然表現方法やシステム的な部分を含めた上でポポロのことを考えるでしょう。後者の捉え方をするのであれば表現方法にさほどこだわることなくポポロのことを考えるでしょう。作品を愛する気持ちにも色々ありますから、どちらがいいの悪いのと決め付ける気は毛頭ありません。しかし、見た目に目を奪われてポポロの世界を感じられなくなってしまうというのでは、それはあまりにも悲しいことです。言うまでもなく先程の疑問に対する私の返事はすべて「ノー」です。
ドット絵に対して思い入れを持つことは構わないと思いますが、それに捕らわれすぎるのはどうか、という気がします。外見にとらわれて自分を見失いカオスに魅入られてしまったマイラ的な物の見方と、姿・形など関係なく真に大切なのは心であるというピエトロ的な物の見方、さぁどちらを選択しますか?