1 感性

物事の捉え方っていうのはまさしく十人十色でいろいろなんですよね。全く同じものを見ても感じ方が180度違ったりするのはまさにこの感性によるところが大きいでしょう。この感性の違いによる感じ方の差が積もり積もっていくと最終的には全然別の見方になってしまうこと、そして感じ方を理屈で説明しても感性が異なればそうそう簡単に伝わるものではないということを「ポポまり」と「FF10」を通じて痛感しました。
以前にポポまり掲示板の方で海が凍ったことについて「海水の融点は水よりも低く、海が波の形を保ったまま凍るというのは凄まじい寒さだから、人々が普通に生活できるはずがない」という意見が出たことがあって、これを見た時、「・・・ちょっと待って。すべての水が凍り付いたのは水の精霊が封印されてしまったのが原因なんだから、融点がどうこうとかいう理屈の話じゃないよね?」と思うと同時に、なるほどそういう風に感じる人もいるんだなぁとちょっと興味深いものがありました。1つの場面を取り上げてみてもこれだけ連想するものが違うわけですから、大小様々な連想の違いの積み重ねによって最終的な意見が分かれるのはある意味当然といえば当然のことかもしれません。さらには次の項で挙げる「想像と想起」の問題が関わってくるとますます複雑さに輪をかけてしまうことになるわけで、その辺が面白くもあり辛い部分でもあるのでしょう。
じゃあ感性の違いによる感じ方の差を理屈で説明して相手に伝えることができるかどうか?これも実は難しいことだと感じてます。以前FF10を人から勧められて始めたのですが、数時間で疎外感を感じて気乗りがしなくなり、決してつまらないわけではなかったものの、とうとうコントローラーを置いてしまいました。あくまで個人的な印象ですが、FF10は映画のようなゲームというよりはゲームのような映画で、ゲームを進めていても物語の当事者ではなく常に傍観者でしかないような気分が常に頭の片隅に残ってしまうんですよね。それが積もり積もってゲームの世界からの疎外感を感じる原因となりついにはそれに耐えられなくなったというわけで・・・。そんな話を勧めてくれた人にしたところ、「えー、そんなこと全然ないのに、頑張って続けてみたら?」と言われたものの、それからFF10のディスクがプレステ2にセットされることはなく、「なるほど感じ方の違いをいくら説明されても理解できないというのはこういうことなのか」と認識を新たにする結果となりました。
結局感性による感じ方の違いをいくらぶつけ合っても平行線をたどるだけで、そこに「自分の感じ方が正しい」とか「あなたの感じ方は間違っている」なんていう意見を持ち込んだりすると後は結論の出ない不毛な議論になってしまいます。「あなたはそう思う、私はこう思う」、これで話をとどめておくのが何よりではないかなとつくづく思います。