7 事故紹介

災難は忘れた頃にやってくる。交通事故もまた然り。生まれてから14歳迄の間に4回交通事故に遭っています。さすがにそれ以降は気をつけているのかはたまた事故遭遇運を使い果たしたのかは定かではありませんが、免許を取って車やバイクに乗るようになってからは一度も事故を起こしていません。事故に遭うものの骨1つ折ることなく無事に生きてこられたのは悪運のなせるわざか、はたまたそれだけ事故に遭うと言うことは元から運がないということなのか、それは神のみぞ知る・・・。事故は自分だけどれだけ気をつけていても相手方の不注意によって不幸にも巻き込まれてしまうことがあるのは如何ともし難いことです。
1回目はまだ4歳の頃。親の帰省で大阪から愛知に遊びに来ていたまだ幼かりし頃の仔パグ。おそらくはパチンコ屋に行ったであろう父を迎えに2つ年上の兄と出かけました。一足先に兄がお店の中に入っている間、私はお店と道路を挟んで反対側の歩道で待っていました。すると間もなく兄が店から出てきてこちらに手を振り「お店にはいない」とのジェスチャー。兄の姿を見て条件反射的に足を前に出した瞬間、右側から白い車が迫ってくるのが視界に入り、凄まじい急ブレーキの音が耳に飛び込んできたのです。直前の記憶はここまでで、次に気がついた時には道路に寝転がっていました。その時は何が起きたのかも分からず、痛さもなく、なぜか顔から外れて地面に落ちて割れていた眼鏡のことだけは鮮明に覚えています。間もなく親も駆けつけ、恐らくはその後警察による事故見分が行われたことでしょう。幸い足首の捻挫と少々の擦り傷で済んだようで、入院することもなくそのまま残りの帰省を過ごしたのでありました。
そして2回目は8歳の頃。近所の広い道路でみんなで野球をして遊んでいました。大きくグローブを構えてバッターの方向を見ていたところ、突如後ろから何かがぶつかり、上の方に放り投げられたような感じを覚えました。背中からモロに地面に落ち瞬間息が止まって苦しみながら、ぶつかってきた方向を見るとそこには1台のバイクの姿が。「大丈夫?」との声に「はい、なんとか」と答えるとすぐにバイクはその場から立ち去っていきましたが、今になって考えてみたら完全に当て逃げ以外の何者でもありません。しかしそのまま野球を続けていたところを見ると背中を打っただけで済んだのでしょう。
3回目の事故は10歳の頃。これまた大阪から帰省で愛知に遊びに来ていた時の出来事。祖母の運転する車にのって兄とともに買い物にでかけ、私は助手席に座っていました。多分助手席は半ドアになっていたのか、ドアにもたれかかっていた重みと何か段差を乗り越えたことによる衝撃で突如助手席の扉がパカッと何の前触れもなく開きました。まさかそんなことが起きることなど予測もしていませんでしたし、体を扉によりかけていたのですから、その後何が起きたのかは言うまでもありません。見事車外に転がり落ちて慣性の法則に基づいてアスファルトの上を転がり続けます。ようやく回転が止まったなぁと思った瞬間、首元でバイクの車輪が止まってました。この時もうまい具合に柔道で言うところの受身の体勢で落ちたらしく、擦り傷少々で済みましたが、一歩間違えれば後続車両に轢かれていたかもしれないことを考えるとさすがにゾッとします。しかしこの事故の一番の被害者は突然の出来事に寿命が縮まる思いをした運転手の祖母であるのは間違いなさそうです。
人生(今のところの)最後の事故は14歳、中学校3年生の時。この時は2週間ほど入院することとなったので、今までの事故の中では一番ひどいものだったと言えるでしょう。時は6月3日の夜、当時生徒会長に立候補したというか立候補させられた私は翌日の立会演説会で話すことを考えておかなくてはならない状況にありました。買い物を頼まれて近所のスーパーに自転車で出かけた時もまさしくそのような状態でした。いつもの通り慣れた道を走り、横断歩道に向かうと夕方の渋滞のためか2台の車が横断歩道の途中で止まっており、特に深く考えることもなく、その2台の車の間を通って横断歩道を渡ろうとしました。その瞬間左方向からヘッドライトが迫ってくるのが見え、「このままでは危ない!」とっさに状況を判断、「よし、思いっ切りペダルをこげばなんとかぶつかる前に横断歩道を渡ることができるに違いない!」・・・できるわきゃあないんです。そんなこと考えているうちに車は迫って来ているんですから。それでも自分ではペダルを踏んだつもりだったのですが、次に気付いた時には道路がグルグルと視界の中で回っていました。そして歩道まで転がったところでようやく止まり、その頃には冷静に状況を把握していました・・・「ま、また、はねられたのか・・・?!」。現場から徒歩1分のところに同級生の家があり、音を聞きつけて見物にきたのでしょう、よもやそこにクラスの同級生が転がっているとは夢にも思わずに。その同級生からの第一声は「大丈夫か!」でした。さすがに「大丈夫なわけあるかい!」とツッコミ返すだけの余裕はなくなんとかうなずき返すこと位しかできません。間もなく救急車に運ばれて、昨日に開院したばかりの病院に搬送されました。怪我の程度は右額部に3針の切創、擦り傷数箇所に頭頂部の打撲、と幸い骨や内臓に異常はなかったものの、頭部を打っている以上しばらくは油断できません。そのまま2週間ほど入院することとなったのでありました。「大変だなぁ」と思いながらも、「これで立会演説会のスピーチを考えなくてもいいや」とほっとしたのもまた事実。その後見舞いに来て頂いた担任の先生に聞いたところ、同級生の前生徒会長が応援演説で「生徒会長に立候補した○○君は、昨日交通事故で入院しました」と報告したところ体育館中大爆笑となり、その勢いで当選したとのことでした。この前代未聞の珍事件は卒業アルバムのクラス年間イベントランキングで見事1位を獲得した次第。
抽選などでなかなか当たらないのは、事故で運を使い果たしてしまっているせいかしらん?と思わなくもないですが、こうして無事に生きているからこそ、ポポロと出会うことができ、数多くのポポロ仲間と知り合うこともできました。かような運には深く感謝しなければなりません。