8 パラレルの考え方

パラレル、平行宇宙、多次元的平行世界・・・一口に言えば「自分がいる世界とは別に少しずつ異なった無数の世界が存在する」という概念で、素粒子宇宙論に基づけば、宇宙は決して1つではないことになりますから、あながち荒唐無稽な概念でもありません。漫画とアニメとで異なった部分が出てきたりすると「アニメは漫画のパラレルだから」との解釈がよくなされたりしますが、ポポロのファーストTVアニメの公式サイトでも「アニメは時間的にはゲームの後くらいなのですが、パラレルワールドなのだと解釈してもらえると助かります」と書かれているんですよね。こうしたことは漫画とアニメ、ゲームとアニメの他にも、作品がリメイクされる場合でも往々にして起こりえます。例を1つ挙げると、パソコンのソフトに「英雄伝説4 ~朱紅い雫」という作品があるのですが、一番最初はNECのPC98シリーズ(もはやこの言葉すらも死語になりつつありますが)にて発売され、後リメイクが施されてWindows版で再発売されました。PC98版とWindows版、内容的には大きな流れで見ると同じと言えるものですが、大きく変わったところもあり、当時色々と議論の分かれるところがありました。PC98版で描かれた物語をリメイクによってより大きく膨らませる結果となって、むしろ非常にプラスになったことではあったものの、まさしくこれもパラレルに該当するものだと言えるでしょう。しかしなんでもかんでもパラレルとひとくくりに考えてしまうと、「それじゃあ一体どれが本当の姿なんだろう?」との疑問にどうしてもぶつからざるを得ません。そんなわけでパラレルについてのパグ的考察を少々述べることにいたします。
実のところ、自分の中ではパラレルすなわち平行世界という考え方は相容れません。例えばポポロにしても、ゲームで描かれる物語とアニメで描かれる物語は別々なもの、などという捉え方はもってのほかなんですよね。そもそも平行世界を解釈するに、パラレルという考え方が必要というものでもありません。元の世界は1つとしながらも、平行世界的存在を可能にする考え方も十二分にありえます。

 話を簡単にするために図のような装置を考えます。この装置には、いろんな形の穴が切り抜かれ、それぞれが不規則な方向に不規則な速度で回転している赤・緑・青色のフィルター(セロファン)が取り付けられているものとします。ではこの装置を通じてその向こうにある対象物を見たとしたらどのように見えるでしょう?おそらく色の重なり具合、穴の形の重なり具合で見え方は千変万化します。ここでは単純に3枚の色違いのフィルターしか考えていませんが、レンズや偏光フィルターなどがさらに加われば変化の度合いは相当激しいものとなります。まさに「対象物は1つであるにも関わらず、その間に存在するフィルターによって見え方が異なる」ことに他なりません。この考え方に基づくと、先程のパラレル観に対する答えが自ずと出てくるんですよね。上の例では単なる光学的なフィルターであったわけですが、おそらくこの「元の世界」と「描かれる物語」との間には時間的・空間的・次元的な様々なフィルターが存在しています。この無数のフィルターの組み合わせを通じて世に伝えられるのが1つの作品であるとしたら、そこに生じるブレは世界そのもののブレではなく見え方によるブレと考えて差し支えないでしょう。
この考え方の利点はもう1つあります。例えば自分の立っているところからある対象物までの距離を測定する場合、1点から測るよりも2点、2点で測るよりも3点から測った方が、測定の差異により一層正確に測定するこことができます(3次元の世界なので測定の場合は3点あれば十分ですが)。物語についてもまた然り、元の1つの世界を見据えるにあたってはイロイロな描き方をしてみるというのはアリではないでしょうか?それぞれの物語の描かれ方に生じている「見え方」の差異に思いを巡らせることによって、より一層世界に触れるにあたっての一助となってくれるはずです。ここで単に「パラレルだから」と思考を打ち切ってしまったら非常にもったいないことです。そして「こっちの見え方が正しい、あの見え方が間違っている」ということもありません。正しいとか間違いだとかの問題ではなく、それは見え方の違いに過ぎないのですから。
物語の違いをパラレルとして考えるのも1つの見方ではありますが、こういう考え方があってもいいのではないかなぁと思う次第です。