24 世界が先か設定が先か

ゲームがあるからその世界が存在する、ゲームを作るために制作側が様々な設定を考えることでその世界が形成される、というのは当たり前と言えば当たり前の話なんですよね。とは言うものの、自分としては、ポポロに限らず全般的な話として、物語で示される世界は時空のどこかに存在していて、それをゲームという「窓」を通じて見ている、ゲームが終わったとしてもその世界は続いてその後の歴史が紡がれていく、という受け止め方をしています。こんなことを書くと、「うん、なんだかこの人おかしなこと言い出してる」と思われるかもしれませんがご勘弁ください(笑)。こう考えるにあたって、問題となるのが今回のテーマということで、思うところを書いてみたいと思います。

制作側がそういう世界を描きたいから、そのように物語が書かれ、時にはその途中で内容が大きく変更される場合がままあります。「そりゃあ作る側が変更すれば描かれる物語も変わるでしょう」、普通に考えればそうなんです。でもこの捉え方だと、制作側の意思でゲームの世界が変わってしまいますから、「物語で示される世界は存在している」という考えとは相反してしまうんですよね。最初からその世界が存在するのであれば設定によって変わるわけがないんですから。

これを考察するにあたり、化石と恐竜時代を例に挙げてみます。恐竜がいた時代は確かに過去にあって、直接それを見聞きすることはできませんが、世界各地から発掘される化石を通じて、その時代を解釈することができます。この場合、化石が設定で、それによって作られるイメージが、当時の恐竜時代を見るための「窓」と言えましょう。ところが化石は様々な解釈が可能なため、恐竜のイメージは、それを発見した人やその時々の説などによって大きく内容が変わっています。かつて恐竜は、爬虫類と同じ変温動物で、色も茶色や褐色などワニやイグアナのような色をしたイメージが多かったですが、近年の研究では、恐竜には羽毛があってカラフルで、恒温動物ではないものの少なくとも変温動物ではない、なんていう解釈もなされています。恐竜時代そのものが変わったわけではなく、資料の解釈によって見方が変わっているわけですね。余談ですが、この化石の解釈をめぐっては、さだまさしさんの「天然色の化石」という非常に考えさせられる歌があり、この中で、

  • 何故恐竜たちはみんなおんなじように寂しそうに緑や黒に塗られているのだろう。ピンクや赤や黄色やトカゲのように虹色に光ったっていいと思わないか。
  • ふと思うのは今から5億年程が過ぎて、地球に次の人類が生まれていたなら、ライオンの雄だけにたてがみがあることや馬には縞や白があると気付くだろうか。
  • あなたと僕が並んで化石になったとしたら、2人がこんなに深く愛し合っていたことに誰か気付いてくれるだろうか。切ない命の営みについて。

などと歌われています。恐竜の時代を直接見られないことから化石に頼らざるを得ないわけですが、だからといってそれで世界の全てを正しくありのままに知ることは残念ながらできません。こういう話は、化石に限らず、宇宙の起源のインフレーション理論のように新たな観測事実に合わせて説を修正するなど科学や歴史学でもよくあることです。

話を元に戻します。では、ゲームの世界が実在するのであれば、制作という過程は何なんでしょう?極論と言うか、トンデモと言うか、我田引水と言うか、その辺は承知した上で端的に言いますと、「閃き」でしょうか。その世界について考えた時、そこがどのようなものかを理解する一助としてそうした閃きが飛んでくるようになっている、そういう風に世界が出来ている、という発想です。我ながら文字にしてみると伝えづらく、「この人は年末に何を言ってるんだ?」と言われても仕方なし!ではありますが、とにかくそのような捉え方とお考えください。あるべき世界が正しく描かれるよう、本来の姿を示せるような閃きが与えられる、そのような閃きが飛ぶよう目に見えない力が働いている、と言えましょうか。これには、閃きの受け止め方によって本来の意味と乖離することもあるという可能性も含まれています。先の化石の例でいくと、従来の化石のままでは恐竜が茶色や黒色のままとなってしまうため、別の可能性を示すための化石が出現するようになった、ということになります。じゃあ誰がそんなことをしているの?!と問われれば、それはもう世界の理(ことわり)としか言いようがないんですけども・・・。

とまぁ、この探偵局では、そんな発想に基づいてポポロの世界を探求しています。20年以上続いているシリーズですので、作品ごとに噛み合わない部分やつじつまが合わない部分も多分にあったりしますが、それを単に矛盾だ!と切り捨てるのではなく、どうしてそうした差異が生じたのか、そこにはどんな解釈が可能なのか、どう捉えれば本来の姿に辿りつけるのだろう?などと思いを巡らせてみることに意義があると思っています。こういう考え方をしていると、もしリメイク版が出て、それが従来と大きく異なるようなことになったとしても柔軟に受け止められるというメリットがありますし、後から出たといって必ずしもそれが100%正しいと考えなければならない理由もなくなります。恐竜が変温なのか恒温なのか、茶色なのかピンクなのか正解が分からなければ、どの説を納得して受け入れるのかはその人次第、ゲームの世界に関してもかくあらん、です。