13 システムへのこだわり

今までに何度となく、3Dのこととか読み込み速度などとシステム的なことについては物語を楽しむに際しては全然関係ない、と述べてきたんですけど、それじゃあ万に一つもそういうことを考えたことがないのか、と言われるとあるにはあるんですよね、実際の話。と言っても前述の機械的なシステムのことではなく、物語を楽しむ上でひっかかってくることのあるゲーム的なシステムのことなんですが。
ポポロシリーズは一般的にはRPG(ロールプレイングゲーム)というジャンルに属していますが、私自身としては「ゲーム」という扱いではなく「物語」という扱いをしているために、このRPGとしてのゲームのシステムが時には、ちょっかいを出してくることがたまーにあります。例えば<ポポロ広場>の「105 ポポまりに物申す」の中でも触れたように、「収入」という表現が出てくることがまさしくその通りで、モンスターをやっつけて得たお金を、そして子供たちの冒険であることを考えると、「収入」という表現には抵抗感を感じずにはいられません。そしてポポまりでもう1つ気になったのが、全員が気絶して戦えなくなってしまった時のこと。従来の3作品の場合、全員が動けなくなってしまった場合には、所持金が半分にはなるものの最後に宿泊した宿屋から再び冒険を始めることができましたが、ポポまりにはこれがなく、タイトルに戻るだけです。一番最初にこれを見た時に、「あぁっ、動けなくなっちゃったピノン達はどうなってしまうんだろう?」と考えてしまい、凄まじい罪悪感を感じて胸が苦しくなりました。ちゃんと宿屋などに戻るのであれば「なんとか無事に宿屋に戻ることができたんだなぁ」と考えることが出来るんですよね(ポポロの4コマ漫画ではウッキィが所持金半額と引き換えに連れて行ってくれた、などどいうネタになっています)。ポポまりでは宿屋に泊まることはなかったのでそれは無理にしても、例えばしばらく真っ暗になった後、気がついてその場で目を覚まして冒険を再開する(所持金見たらがモンスターに盗られて半分に減ってた!なんて)、という感じであればよかったのになぁと思います。
気にしなければそれで済んでしまう部分ではあるんですけど、やはりポポロクロイス物語を物語として接する上においてはどうしてもこだわらざるを得ない部分だったりします。他にもポポロ2でマイラの神殿で4人離れ離れになってしまった時でもアイテムを共有できた時にも、「ん?」と思ってもみたりと、他愛のないような場合もありますが、こうした意味においては私もシステム的な面についてはこだわりを持ちます。