6 ポポロに対する考え方

ポポロクロイスの世界はどこかに存在していて、プレイステーションという媒体を通じてポポロの世界を覗いている、ソフトがあるからその世界があるのではなく、もともと1つの世界があってソフトというのはその世界を覗くための窓、という考え方を持っています(下図②)。これはプレイステーションに限ったことではなく、映画や本などにしても同様に考えています。
もう今までに何度となく「2Dでも3Dでもポポロはポポロ」「操作性がどうとか読み込みがどうとかいうのはポポロとは全く関係ない」という見方を<ポポロ広場>や掲示板で書いていますが、根底にはこの考え方が流れています。見た目云々、読み込み云々というのはあくまで下の図でいう①の部分であって、ポポロの世界とは全く関係がないんですよね。②の見方をしていると、①の部分については気にする気にしないとか、目をつぶるとか考えないようにするなどの問題ではなく、最初っから意識の中にすらありません。逆に①に囚われ過ぎるあまりに、その向こうにある本来の姿を見失ってしまうのであればそれは不幸なことだと思います。
もちろん①の部分についてはファンであるとかないとか、好きな程度によってはどうしても影響せざるを得ない部分であり、作り手側が配意しなくてはいけない部分ではありますが、①がダメだから全てがダメなどという短絡的な発想ではなく、やっぱり「本当に大切なのは何か」という観点だけは常に持ち続けていたいものですね。