「やり込み」という言葉があります。これはゲームの楽しみ方の1つで、例えば最短でのクリア時間を計ってみたり、最低レベル・最低装備でのクリアを目指したり、はたまた最大レベルまでキャラクターを育て上げる、などなど色々なものがあります。これはそのタイトル本来の楽しみ方というよりは、「どれ位までできるかやってみよう」という探求的なものですが、中にはポポローグのようにスタビン集めやダンジョンの探索率、アイテム・宝箱の入手率など、あらかじめ用意された「やり込み」要素が存在する場合もあります。
さて、後者に挙げたポポローグにおけるこの「やり込み」については、「いなくなったお父さんを一刻も早く探し出さなくちゃいけないのに、スタビン集めなんて・・・」という葛藤もしくは罪悪感を抱かずにはいられなかったりもするわけですが、今回考えてみたいのはポポロにおける、前者の「やり込み」についてです。サイドストーリーには目もくれず、ただひたすらメインの話だけを追いかけるという最短クリアについては、もったいないとは思うものの、気にすることではないのですが、レベルを上げずにどれ位で終わらせることができるだろう、どれ位の最小限の装備でクリアできるだろう、という進め方についてはなんのためなのか、その意図するところはなんなのかがいささか理解できない部分があります。
というのは1つには、いずれのやり方もピエトロやピノン、そして仲間達を必要以上に危険な目に晒してしまうことになるからなんですね。レベルが低いがために苦戦を強いられる、装備がその時点におけるベストのものではないがために必要以上にダメージを受けてしまう羽目になります。「その方が戦闘に緊迫感を持つことができるから」・・・確かにそうかもしれません。でも、でももし現実に自分達の目の前でピエトロ達が苦戦している姿を見たら取るものとりあえず全力をかけて加勢しますよね?ピエトロ達が苦しむ姿は見たくありませんから。現実ではそういう行動を取るのに、画面の向こうで苦戦するピエトロ達に対しては、手をこまねいて見ているだけ、というのは腑に落ちません。
そしてもう1つには、冒険中のピエトロやピノンが自分達の装備を整えるにあたって、「モンスターと緊迫感のある戦いをしたいから、装備は軽いものにしておこうよ」なんてことを果たして考えるかどうか?なんですよね。自分の大切な仲間達を守るために、持ちうる力を最大限発揮してもらうためにも、その時点で自分の装備を多少犠牲にしても準備できる最良のものを用意することでしょう。わざと装備を軽いものに、もしくはレベルが低いがために仲間達が苦戦する様子は、ピエトロ達にとってもまた辛いものになってしまいます。
こういうことを書くと「ゲームなんだからどんな楽しみ方したっていいんじゃないの?そんなこと余計なお世話じゃないの?」と受け止める方もいるでしょう。そう、まさしく余計なお世話以外の何物でもありません。それぞれがそれぞれの楽しみ方をすればいいだけの話ですから。それでも敢えて今回の問いはどうしても発しておきたいところなのです。この件についてどう考えるかは、ポポロを物語としてとらえるか、ゲームとしてとらえるか、第一人称的に楽しむか第三人称的に楽しむかというポポロとの接し方によって相当異なってきます。私自身が常に考えることは「全員になるべく危険が及ばないよう、その時その時に応じて一番ベストな状態で冒険を進めていきたい」ということ。ポポまりで全員が気絶してしまい、タイトル画面に戻ってしまった時の、罪悪感に満ちたなんともいえないやり切れない気持ちだけはまっぴらゴメン、です。