2017年5月14日
以前にも、ポポロクロイス物語が、田森先生の原作漫画からどのような経緯でプレイステーションのゲームとして発売されることになったのかをまとめましたことがあります(86 「パイロットフィルム」)。しかし、アートブックに掲載されているように、パイロットフィルムとは別の資料と思われる、ピエトロの姿が原作寄りのイメージボードがあったり、昨年7月に「ポポロクロイス成竜式」で展示した設定画の日付がポポロ1発売の4年前の1992年になっていたり、パイロットフィルムの制作が1993年だったりと、今一つ流れがつかみにくいというかミッシング・リンクが存在するように感じているので、昔の雑誌のスクラップ記事をひっくり返すなどイロイロと調べ直したものを再度まとめてみたいと思います。
ゲームのポポロ全ての土台になっているのが1984年10月から朝日小学生新聞で連載された田森先生の原作であるのは言うまでもありません(厳密に言えば、1978年に書かれたプロトタイプ版のポポロもありますが)。そして、この連載からアニメ化の企画が持ち上がり、福島敦子さんがデザイン、その夫である森本晃司さんを監督として企画が進められたものの、残念ながら消失してしまったようです。原作の髪形のピエトロ王子が描かれたイメージボード(画:中村隆太郎さん)について、1996年8月のゲーム雑誌「ザ・プレイステーション」では、“かなり初期の頃の「ポポロクロイス物語」のアニメーション用のイメージボード”と紹介していますので、おそらくこのイメージボードは、原作をアニメ化する過程で描かれたものなのでしょう。
また、このアニメ化とは別に、朝日小学生新聞での連載分を単行本化する動きもありました。ところが、当時の朝日新聞には漫画を出版する部署がなかったため、単行本化してくれる出版社を探すために原作のコピー本を様々なところに配布するという手段がとられました。これが、当時ファミコン用ソフトを開発していたエピック・ソニーの目に留まり、それがきっかけとなって、田森先生とポポロの歴代プロデューサーで現epics社長である山元哲治さんが初めて出会うことになったという話です。この時はまだプレーステーションというハードが存在しておらず、ポポロ1はスーパーファミコン用のソフトとして計画されたようですが、スーファミ用CDROM機の開発をめぐって任天堂とソニーの協力関係が破たん(1991年6月、任天堂はソニーとの契約を破棄)し、その結果、プレイステーションの発売が決まったことを受けて、プラットフォームがスーファミからプレステに変更されることとなりました。ハードがスーファミからプレステに移ったことによる最大の変更点は、カートリッジからCDROMという大容量の媒体になったことです。大容量のCDROMであればゲーム中にアニメーションを入れることが可能になります。そこで、プレステで開発を進めるにあたり、ポポロを何らかの形で目に見える形にしておく必要があるということで、1993年にあのパイロットフィルムが作られたという状況です。この流れからすると、パイロットフィルムは、ゲームとは別個のアニメ放映作品に向けたものではなかったようですね。1992年の設定画は、プレステでの開発が決まってアニメーションを作ることも視野に入れて描かれたものと推察します
こうした道のりを経て、ついに1996年7月12日に記念すべき第1作目となる「ポポロクロイス物語」が発売されるに至ったというわけなのでありました。これで締めくくってしまうと、「あれ、じゃあ、そもそもの発端であった原作の単行本化の話はどうなったの?」と思われるかもしれません。実のところ、原作の単行本は、1994年10月に第1巻「王子さま、竜の山へいく」、1995年1月に第2巻「なぞのゆうれい島」が、ポプラ社からそれぞれ発売されましたので、プレステで企画が進んだことによって、無事に当初の目的を達成することができたのでしょう。
なお、この2冊には新聞掲載分の全てが収録されていませんでしたが、PSP版ポポロに向けて2004年に「知恵の王冠の冒険」、「7匹の子竜の冒険」、「竜の夢の冒険」の全3巻が装いも新たにポプラ社から再び出版されました。第3巻には、“ポポロクロイス物語・クラシック”と題して、1978年のプロトタイプ版も収録されています。書籍のほかにキンドル版もありますから是非とも読んでおきましょう!